僕の祖母は呉で育ち、暮らしていた。
祖父は新聞記者として従軍し、軍艦にのりフィリピン沖で海戦を経験している。
その後祖父は原爆投下直後の広島に記者として足を踏み入れた。
結局祖父はただの一度もその時に見た時のことを家族に話すことはなかった。
何をみたのか?
何があったのか?
血の繋がった物語
※ネタバレあります!
映画『この世界の片隅に』 は、太平洋戦争中に広島に生まれたひとりの少女が呉に嫁ぎ、心曇らせることなく生き、激化する戦争の中その人生を何かにさらわれてしまいそうになりながらも懸命に愛に踏みとどまろうとする姿を、暖かく、あくまで静謐に描いた作品だった。
正直に言えば僕にとって他人事ではない作品だった。
もちろん祖母は主人公のすずではないし、祖父はすずの夫、周作ではない。
けれど、同じ街に現実に血と肉を持った人間として存在していた。
そこで暮らし、防火水槽の水を汲み火を消し、配給にならび、出兵を見送り、死体を眺め、にも関わらず暮らしの中で笑い、時に未来を案じ、そして廃墟から生きなおした、とある日本人だった。
おそらくはすずのように生き延び、良し悪しはさておき僕が今ここにいるわけだ。
この作品は僕の祖父母が生きた世界を語り変えた世界であり、僕と血のつながりのある作品だった。
その世界はすずによって愛を失わないよう描かれ、けれど『悲しくてやりきれない』と静かに主題歌に歌われる世界だった。
すずは映画のラスト近く、玉音放送にて戦争の終わりを聞き、涙を流しながら劇中ほぼ唯一ともいえる激しい感情を、怒りにも似た慟哭を見せる。
それは戦争が終わった安堵ではなく、戦争を始めた国に対する怒りでもない。
爆撃で右手で失った彼女は戦争を“終わらせたこと”に怒るのだ。
この描写こそが、この作品をいわゆる凡百の反戦・人情もの映画と一線を画すものにしていると僕は思う。(というか“いわゆる”戦争ものでも、日常ものでもない)
なぜか?
その答えを知るためには、彼女にとっての右手の意味を理解する必要がある。
世に出ようという発想すらなかった芸術家
すずという人間は、ドジでおっちょこちょいで、けれどほがらかで天真爛漫なところがあり人に愛される存在として“当初”描かれる。
映画は丁寧に、丁寧に、すずと共に戦中の広島の風景とそこで暮らす人々の日常を描く。
日常はたとえ戦争があろうともあくまで日常として描かれる。
(たとえ放射能が漏れていようとも日常が続く現代のように。そう、私たちは選びようのない時代の中で、“日常”を生きる他ないのだ。そのことへの悲しみと、そこで生きようとする命への圧倒的な賛歌!なんという作品だろう……(!))
そしてまた、日常が日常として続いていようとも戦争は戦争としてその手を少しずつ彼女たちの住む世界へと伸ばしていく。
すずはそうした日常世界の中で、愛すべき市井のひとりとして描かれているように一見は見える。
しかし、そうではない。
彼女は、『愛することしかできない』人物なのだ。
彼女は眼に映る世界の美を一身に浴び、波がしらに飛び跳ねるウサギの命を見出し、ふっと見えた座敷童にスイカを分け与えようとする。(“この部屋の片隅に”彼女はとある命を“見つけ”、それを愛するのだ)
人に嫌味を言われても逃げ出すことはせず、本位でなかった結婚であってもその相手を愛してしまわないわけにはいかない。
彼女は戦中の日常を愛し、工夫を重ね、野良仕事をする。
世界を美しく描く天分の才を与えられたその右手で、繰り返し絵を描き、人々を、そして自分の心を慰撫する。
彼女はある意味でその天真爛漫さ故に、『世に出るということを考えたことすらない』一人の芸術家だったように僕は思う。
彼女はその才能を誇ることも、それを用いて不特定多数の誰かに自己顕示することもせず、ただ右手を用い、世界を美しく描き、愛そうとした。怒ることも嘆くこともせず、受け入れようとした。
彼女の『愛することしかできない』性(さが)は、呉の空を襲う爆撃にすら美を感じ、そこに色を見出しなおも世界を美しく感じてしまう。
彼女はそういった意味で実は狂気の人であったとすら言っていいように僕は思う。
その狂気は人をなごませ、笑わせ、愛を呼び、誰かの日常と暮らしを支える、すずはそんな特殊な狂気の持ち主だ。
爆撃が奪う魔法
けれど、爆撃はそんな彼女の右手を奪ってしまう。
彼女は彼女自身の手で世界に色を塗り、描き直す術を失う。
(晴美を失うシーンがモノクロで描かれるのは象徴的だ。彼女はその惨劇に色をつけることができない)
彼女はこの日以降、世界を美しくみる力、ある種の魔法めいた力(マジックタッチ)を失ってしまう。
めっきりと笑うことがなくなる。
もちろん義姉の子(晴美)を救えなかった自責の念はあるだろう。
だが、それ以上に、彼女にとってこの苦しい世界を愛する術(=右手)を失ってしまったことこそが、より彼女の生にとって根源的な痛みだったのだろうと僕は思う。
世界を美しく受け入れる術(=右手)を失った彼女は、今いる場所(呉)の愛しかたがわからなくなる。
左手で描こうとする世界は歪み、以前のように美しくはなりえない。
右手を奪われることは、彼女がその手を通じて愛した世界の見方(過去)すら奪われることだった。
さきにすずのことを『愛することしかできない人』だったと書いた。
もし彼女が(義理の姉のように)自分の意思や望みに自覚的であったのなら、彼女は本当は幼なじみと結婚しなかった“かもしれない”。
故郷を離れなかった“かもしれない”。
すぐに帰った“かもしれない”。
彼女は無数の“かもしれない”を追いかけるよりもその右手を通じ、今を愛した人生を生きていた。
彼女は自分の意思にも望みにも才能にも無自覚で、だからこそ目の前のことを愛することしかできなかった。
そんな彼女にとって現状を受け入れる魔法の力(=右手)を失うことは、“あったかもしれない”別の生き方への想像や悔恨につながることを意味する。
だからこそ彼女は、今ここ(呉)から、過去(広島)へと戻ろうとするのだ。
過去は破壊され、戻ることはできない
しかし、すずが戻ろうとした故郷は、原爆によって跡形もなく破壊される。
(よし殺そう、と思いながら爆弾が投下され、よし随分と殺せた、といって戦果が確認されたすずの故郷。長崎と合わせて30万人が死んだ街。僕の祖父が見て、語ることができなくなったしまった街)
そこですずは、自分の分身とも言えるほがらかな妹が原爆症で死ぬ運命にあることを知る。
すずはここで、もう戻る場所がないことを知るのだ。
あったかもしれない人生を選びなおして生きることはできない。
街は壊れ、もうひとりの自分(妹)は死ぬ。
ここで彼女は“世界を美しく描くことができなくなってもなお世界を愛する”ことを決意するのだ。
広島から戻ってから彼女は“無自覚”の人から、“自覚”の人へと変わっていく。
◎なくなったものをすら、振り絞り愛を守る
その象徴的なシーンとして、空襲による火事を消そうとするシーンをあげることができるだろう。
彼女は無言のまま、今にも燃えさかろうとする居間の焼夷弾を見つめる。
愛する周作の帰るべき家を守るため、すずは怒りとともにその欠損した身体をしゃにむに振るって懸命に消化しようとする。
義理の母や姉が空襲から避難する(家が燃えてしまうことを受け入れる)のとは対照的に、彼女は避難を拒み、家が燃えることに“抗う”。
ここで彼女は初めて、愛のために、目の前の出来事を“受け入れる”ことよりも、“抗う”ことを“選んだ”のだ。
世界を愛する術(=右手)を暴力によって奪われてなお、彼女はこれ以上愛を失わぬよう、残されたものたちと生きるために、怒りにも似た感情をもって“戦争の炎”に“抗う”ことを選んだのだ。
『なんでもつこぉて、暮らし続けにゃならんのですけぇ、うちらは』と、“つかえなくなった右手”を振るって彼女は生きるのだ。
(刻んだ野草を笑いながら鍋に入れた時とは真逆の表情で)
彼女は二度裏切られる
だからこそ、彼女は終戦の報せに怒る。
容赦なく大切なものを奪い続けるこの世界をなお愛し、生きようと決意したのに、世界の側が闘うことをやめてしまう。
『戦争に巻き込まれた側の私がまだ闘おう(生きよう)としているのに、なぜ、(戦争を始めた)張本人のお前たちが先に降りるのか!』 と。
失った右手を振るいながら生きる彼女は叫ぶのだ。
『まだこんなに残っているじゃないか!』と。
世界を愛そうとしたすずは、その世界から二度の裏切りを受ける。
彼女が世界を愛しても、世界はお構いなしに右手を、妹を、姪を、奪い去る。
それでも構わないと、彼女は失った右手を振るってなお世界を愛そうとする。
にもかかわらず世界は、『お前に愛される必要などないのだ』と言わんばかりに、自らの保身のために彼女を捨てるのだ。
喪失“すら”肯定する祈り
しかしここで終わらないのが、この作品の凄いところである。
この作品は“何かを失うことすら”肯定してみせようとする。
それは、ラストに登場する『孤児』の存在である。
そして、『失った右手をきっかけ』に母を失った孤児と出会い、養女とする。
三人が帰り道に見る夜景は再び、右手があった頃のような美しい輝きを見せる。
エンドロールで義姉の径子、すず、養女の女の子が洋服を着て笑いあう。
三人の洋服は、恐らくはひとつの着物を仕立て直したのだろう、それぞれに同一の生地が使われている様子が見て取れる。
血の繋がりのない三人が一つの家族となって笑顔で、暮らしている。
彼女たちはそれぞれに何かを失った人たちである。
径子は娘を、孤児は母を。すずは右手と妹を。
しかし、失ったことそれぞれは、この世界に生き残ったお互いの傷を埋めるための存在にもなっている。
ひとつの輪っかのような暖かな繋がりは、すずが『右手を失って初めて生まれた』愛なのだ。
そして戦後がはじまる
このエンドロールを最後まで見ても、すず達がその後どのような運命をたどったかはわからない。
いかにも重要な孤児がどのようにすず達と暮らしていくのかもわからない。
恐らくは何かドラマがあるのだろうと想像はするけれど、しかしその詳細はこの作品では語られることはない。
一見物語としては中途半端なようにも見えるけれど、僕はそうではないように思う。
三人の女性は、恐らくは一つの着物を仕立て直し、新しい洋服を着て暮らす。
戦前・戦中(着物)が終わり、戦後(洋服)が始まったのだ。
そして、戦後はまだ終わっていない。
すずの人生はまだ終わっていない。
そう、すずは今となりで生きている祖母たちそのものであるかもしれないのだ。
彼女たちの人生はまだ終わっていない。
この物語は、今も続き、私達のとなりでまだ進んでいるのだ。
みんなの笑顔のいれものでありますように
最後に『みんなの笑顔のいれものになる』というすずのセリフについて、少しだけ触れて終わろうと思う。
すずは物語の終わりに、『みんなの笑顔のいれもの』になることを決意する。
僕はこの作品を幼少時を呉で過ごした母にすすめた。
この作品をきっかけに祖母や祖父を思い出したひと、あらためて話をした人も多いだろう。
祖母や祖父の世代がこの映画を観て何かを懐かしく思い出し、そしてその思い出を孫や子に語る。
孫や子は聞いたことのない祖母たちの思い出を聞き、そしてその詳細を、この映画通じリアリティを持って聞き入る。
僕はこの『みんなの笑顔のいれもの』というセリフは、この作品がどうありたいのか、という作り手側の願いや祈りがこめられているようにも思う。
どうかこの作品を通じ、“誰か”と“誰か”の何か大切なことが交わりますように、と。
そしてそれが笑顔でありますように、と。
そんな風に私(≒すず≒この世界の片隅に)はなりたい、と。
だからこそ、すずは『見つけてくれてありがとう(観てくれてありがとう)』と呟くのだ。
その意味でこの作品がクラウドファウンディングで製作費を調達したのは幸運だったように思う。
この作品はまさにみなの願いによって作られたものになれたのだから。
日常を生き延びるチカラ
本当に最後。
僕はこの映画を観て、日常の難しさを感じずにはいられなかった。
すずさんは絵を描くことで世界を愛そうとした。
同じように今、この瞬間、この時代を生き延びようとしている人がきっといるのだろうと思う。
好きな歌をうたったり、本を読んだり、絵を描いたり、黙々と走ったりしながら、選べなかった時代の逆風をやり過ごしつつ、けれどそのことを誰にも見せずに孤独に生きる人が恐らく沢山いるのだろうと思う。
僕は、そうした人がこの作品を観て、すずさんの気持ちがわかるな、と感じてもらえたら、(部外者だけど)僕も嬉しい。