吹き荒れたシン・ゴジラ旋風もすっかり『君の名は。』の驚異的な動員数にかすんでしまいそうになっているけれど、それでも僕は自分の気持ちを整理するためにも、ここで――時期外れになっていようとも――『シン・ゴジラ』についての感想を言葉にして整理しておきたい。
シン・ゴジラを観たのは公開間もなくで都合3回観た。
最初は何かの映画で予告編を観たのだけれど、正直にいって『これはダメだ、一体だれがみるんだ?』と思ってしまった、皆ダイコンとは言わないもののセリフは棒読みに近くゴジラも迫力があるという造形には見えなかったのだ。
「庵野秀明もエヴァンゲリオンは凄いけど実写はイマイチなんだろうな、やっちまったな」と思ったのだけれど、それからしばらくして「どうもシン・ゴジラが凄いらしい」というウワサが流れてくるようになる。
エヴァンゲリオンもゴジラも好きなこともあり、じゃあ少し観てみるかと軽い気持ちで――事前情報なく――観に行って僕は身体も心もぶっ飛ばされるような強烈な体験をすることになった。
少し大げさにはなってしまうけれど、僕は『シン・ゴジラ』でかつて経験したことのない感情を体験したと言っていいと思う。
川は逆流し、全てを飲み込み容赦なく破壊する
オープニングはオールドファッションな東宝のロゴ、津波。子供のころから親しんだ「あの」ゴジラの始まり方。
それから間髪いれずに映画はすぐに未曾有の大災害が起こったことを見せていく。
そうしてすぐに慌てふためく官邸、意思決定はできず情報の伝達はシンプルとは言い難い経路で次々に流れ込んではまとまらない首脳陣の意見の相違に空費されていく。
繰り返される(半ばギャグとなった)『想定外』の言葉。
すぐにこの映画がゴジラという名の『3.11』の映画なのだと観客は気付く。
蒲田の川を海が逆流し波となり、船もモノも電柱も全ては飲み込まれて壊れながら止まらずに破壊、破壊、破壊が続く。
3.11の頃――東京の生活と、「不誠実で何が悪い?」という日本の開き直り
僕は3.11を東京で経験した。
緊急地震速報のあの歪んだ甲高い金属音のような警報が毎日のように不意に職場のあちこちで響いて、その度に皆の身体がこわばり、揺れるフロアに船酔いのような気持ち悪さを覚えさせられる。
当時は計画停電の影響で節電が徹底されており、日中でもフロアはいつも薄暗く、僕が担当していたプロジェクトは火だるまで何もかもが暗く見えた時期だった。
そうして福島の原発が爆発する。
今ではメルトダウンしていたことを東電も政府も認めているが、当時はそんなそぶりは見せぬまま、もはや伝説とも言っていい『ただちに影響はありません』という広報が繰り返し流されていただけだった。
当時はリアルもネットも未曾有の災害にどうしていいのか誰もわからずに、僕の身近でも爆発が起きた即日に関西に帰った人もいたし、『爆発があったから何?』という人もいた。
責任者は起こるかわからない健康被害よりもプロジェクト遅延の是正が最優先とばかりに、業務がどれ程優先事項であるかを滔々とロジックを用いて周囲に説いてすぐに徹夜続きのプロジェクトへと平常稼働していった。
ネットには怪しい人が沢山あふれ、地震を予知できる人が山のように現れ彼・彼女の予言を心待ちにしているフォロワーが激増していた。
(彼らは毎日東や西に嫌な波動を感じ眩暈を覚えていた)
東京電力は税金をもらいながら、『まき散らされた放射性物質は誰のものでもないのだから我々に責任はない』と裁判で主張していた。
福島で農業ができるかどうか悩み苦しみながら、ここで生きていきたいと復興と創意工夫に粉骨砕身する人が沢山いて、政府は渡りに船とばかりに『食べて応援』キャンペーンを張り、彼らの生活を保障する義務を捨て、あるいは軽減させ、福島の復興が進まないことは応援しない国民の責任であると声を大きくしていった。
原発の是非はうやむやのまま再稼働は進み、周辺の議論は反左翼的でありたいだけの言葉や広告費で買われた賛成意見に飲み込まれ、あるいは怪しげなエコロジストにスポイルされていった。
僕はそんな中、何を考えるべきなのか、何が正しいことなのかわからないまま、ただ生活のために働き、気晴らしに酒を飲みゲームをして、時々また地震が来て震え、また働いていた。
要は僕はずっとずっとこの『3.11』で起こったことを何年もたった今でも整理できないままでいたのだ。
『3.11』で見えた利権構造とその変わらなさ。危険な仕事も使い捨ての人間にやらせればそれでいいと思われている現状。
何が正しくて誠実であるのかがわからない以上は現状維持でいいでしょう、とばかりに進む政府や財界。
泣きながら殺せと叫ぶ
ゴジラが次々に形態を進化させ、ついに東京に上陸した夜のシーン。
人々はパニックになり地下へと逃げまどい列車にすし詰めとなって駅員に押しこまれる。
僕はこのシーンを観て恐怖に涙がこぼれるのを抑えられなかった。
ひとつは長い社会人生活のなかで刷り込まれた自分の無力感のせいだった。
僕は主人公のように粘り強く事態の解決にあたるために動くことはできないだろう、僕はこの絵の端にある描写されることもなく死ぬひとつの死体なのだ、と。
その無力感への恐怖が、次々に起こる破壊にて僕に湧きおこり僕は思わず震えて泣きだしてしまった。
もうひとつの恐怖。
それは、『ゴジラが来ずとも私たちはこうした毎日を本当は生きているのだ』という恐怖だった。
ゴジラが来て皆が恐怖におののかずとも、私たちはこんな毎日を本当は送っているのだ、と。私たちが過ごしている毎日こそがこんな有様なのだと感じたのだ。
毎朝毎朝列車に飛び乗り誰かを押しのけ、すし詰めになりながら生きる。
誰かのひじがあたりイラついて、誰かの足を踏み、そのことに何も感じずに全てを当たり前の光景として毎日を生きているのだ。
(途中で避難のために高速道路がすし詰めになる描写がある。ゴジラが来たから? GWには毎年毎年似た光景が繰り広げられるのに?)
『これはパニックなんだろうか?』
そうではない。
『この日本という国で、私たちはゴジラが来た時と変わらずゴミ屑のようにぐちゃぐちゃにされながら生きている』のだ。
やがて暗闇にそびえたつゴジラに不誠実で楽観的で想像力に欠けた政府が攻撃を加える。
ゴジラは怒り青紫に燃える炎を吐き散らし東京をぶっ壊す。
僕はその炎で何もできずに殺されていく自分を想像し恐怖に泣きながら、それでも心は『いいぞ、殺せ、ぶっ殺せ!こいつらを殺せ!!』と叫んでいた。
『こいつらを絶対に許すな!!』と叫んでいたのだ。
そうして僕は『3.11』で自分が何を感じていたかを思い出す。
それは『怒り』なのだ。
『怒り』。
圧倒的な『怒り』。
祈りでも鎮魂でも反省でも希望でない。
僕は怒っていたのだ。
ゴジラのように怒り、この国の全てを叩き潰してやりたかったのだ、僕は。
もちろん死者への鎮魂や祈りの気持ちもあった。死者への敬意、自然への畏怖。恐怖。
けれど、そんな一切合切を超えて僕が心の奥底で感じていたこと、それは『怒り』だった。
それをこの『シン・ゴジラ』は僕に教えてくれたのだ。
僕は『3.11』関連の小説や映画などを幾つか観ていた時期があった。
けれど、これだけ僕の『怒り』の感情をストレートにえぐった作品は他になかった。
こういうことを言うべきではないかもしれないが、『シン・ゴジラ』に比すとその他の3.11をモチーフとした作品はやはり少し霞んでしまうように思う。
ゴジラへの攻撃に感じた痛み。庵野秀明が見せた希望
ゴジラがアメリカの爆撃で血を流すシーンは胸がどうしてか痛くなった。
『どうしてゴジラにそんなことをするんだ?』
『卑怯だ!』と、なぜか感じたのだ。
それはもしかしたら『3.11』を取り巻く状況に感じる自分自身の『怒り』の感情をより巨大な力で否定されているように感じたからなのかもしれない。
庵野秀明は過去にインタビューで、『組織というものが好きなんです』と答えている。
その意味でこの映画は、組織=システム信仰の映画でもあるように思う。
いや、正確に言えば『強靭な個人のチカラが結集した組織は、とても不可能だと思えることもいずれ達成できるはずだ(いや、そうであって欲しい)』、という希望の映画でもあるように思う。
ゴジラが個人の怒り(牧教授あるいは僕)と荒々しい自然への畏怖の結晶体だとするならば、ヤシオリ作戦がみせた光は、未来を創造するための個の能力と信念の結晶体と言えるかもしれない。
そして庵野秀明は最終的には――恐らくは希望(願望)をこめて――怒り(ゴジラ)を希望が覆うエンディングを描くのだ(しかし怒りを消すまでには至らない)。
個人的には僕はゴジラが炎を吐くシーンに最も感情を揺り動かされたが、それでもこの映画のラストに至るまでの一貫したバランス感覚(遊び心・楽しみ方・深刻になり過ぎないこと・怪獣映画としてのケレン味などなど)には心の底から敬意を表したい。
殺される自分を想像しながら、『殺せ!』と叫び気が付けば泣いていた。そんな感情を経験した映画はこれまでなかった。
『シン・ゴジラ』は『3.11』を経験した日本人の――少なくとも僕の――無意識をえぐり見事に怪獣映画という形で物語化したことに成功したという意味で、僕にとって数年に一本の傑作だった。
初代ゴジラとの比較でみるシン・ゴジラについては、こちら