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【映画評】ソロモンの偽証(後編)〜柏木君が本当に欲しかったもの〜

 

ソロモンの偽証(後編)を見てきましたので、その映画評になります。
今回は前篇と異なり、ネタバレありで記載したいと思いますので、映画を未鑑賞のかたはご注意ください。

 

 

率直な感想として、期待外れではありました。

 

 

前篇を絶賛していたのですが、残念です……。
→前篇映画評

 

 

ですが、ただ「この映画つまならなかったよねー」とだけ書いても誰もうれしくないと思うので、今回は大きく3つのテーマで記事を書きたいと思います。

 

1点目。なぜこの映画は後編でダメになったのか?
2点目。この作品の表現しきれなかったテーマについて
3点目。柏木君が本当に欲しかったもの

 

 

一点、原作は未読ですので全て映画に関する評価になる点、ご了承ください。

 

 

後編総評〜なぜこの映画は後編でダメになったのか?

まず簡潔に2点、後編がゆるくなってしまったポイントを記載したいと思います。

 

1点目。各判決エピソード間の関わりが薄く、物語が前のめりになっていない
2点目。柏木君に共感できない

 

 

1.閉じてしまった各エピソード

 

この映画はもともとミステリー仕立てで前篇・後編に分かれていることから、前篇は壮大な「前フリ(エサまき)」、後編はそれらを怒涛のごとく回収しまくる、という構図が望ましい作品でした。

 

 

もともと前篇が「柏木君の死の真相」という空白を中心として、多種多様な人物・立場の悪意や善意が悪霊的につながり、物語を回転させていたのに比べると、後編は各エピソード(判決)が、1日1日ごとに、ぶつ・ぶつと細切れのまま終わってしまい、全くドライブ感がないまま終わってしまいます。

 

例えば校長先生やもりりんの判決は、この映画では「どの判決が先であっても後であっても物語の熱量には影響ない」形に収まってしまっています。

 

それぞれがエピソード単位に閉じられたままなのです。

 

本当は、前の判決が次の裁判への布石となり、絡み合い、変化し物語が結末に向けて「うねって」いけばよかったのですが、そうした有機的な熱は最後まで後編では生まれずじまいでした。

 

 

2.神秘性を失った柏木くん

 

そして、なにより後編の質が落ちた最大の原因として、やはり「柏木くんに共感できない」という点を挙げないわけにはいかないでしょう。

 

 

前篇で柏木くんは一種異様な潔癖さを他者に求め、それがために他人を傷つける鋭さをもって描かれていました。

 

少なくともぼくはそうした柏木くんの死に対し、「彼はなぜ死なねばならなかったのだろう?」という気持ちを抱き、その気持ちを頼りにこの映画を観ていました。

 

しかし、結果的にこの想いは裏切られます。

 

恐らくは相当に屈折を抱えていたであろう柏木くんという人物の掘り下げが物語上全くなく、彼の死に悲劇性を感じさせるものがひとつも表現されないまま終わってしまったからです。

 

むしろ多くのひとは柏木くんのことを「嫌な奴、変な奴」と、もっと言えば「死んで良かった奴」とさえ思ってしまったのではないでしょうか?

 

この物語をけん引する謎であった柏木くんの死は、極端に言えば「嫌な奴が勝手に死んだ」だけで終わってしまったのです。

 

※なぜ柏木くんは死んでしまったのかについては、後述します

 

表現が追い付かなったであろう、この物語のテーマを深堀りする試み

この映画がなぜ感動できなかったかだけでは悲しいので、本当はこんなテーマが隠れていたのではないか?それは表現さえもう少し追いつけばよき物語となったのでは?という僕なりの仮説をまとめておきたいと思います。

 

テーマは3つ。
1.赦(ゆる)される条件
2.樹里ちゃんが得た、強くなるため条件としての「共感」
3.リテラシーの必要性

 

1.この映画は「罪と罰」そして、“赦(ゆる)される条件”を描きたかったのではないか?

 

この物語では、多くの「すべきでなかったこと」が繰り返し描かれます。

 

警察は捜査を明確にし、その理由を公表すべきであった、
校長はそのことを明確にすべきであった、
もりりんの隣人は手紙を破棄すべきではなかった、
樹里ちゃんは嘘をつくべきでなかった、
大出くんはいじめを行うべきではなかった、etc。

 

 

仮にそうした「すべきでなかったこと」を「罪」としたとき、この物語の主要人物で「罪」を犯していない人物はほぼいないといっていいでしょう。

 

ですが、この「罪人」、実はこの物語では2種類にわけることができます。

 

それは、「赦された人物」と「赦されなかった人物」です。

 

赦された人物の代表としては、校長先生を上げることができるでしょう。

 

彼は自分自身の行動が生徒を傷つけたことを罪として悔やみ、深く傷ついています。
そしてそれを背負い、未だハローワーク通いのエピソードが示す通り再就職先はなく、一種の社会的制裁を受けている人物として描かれます。

 

そのような校長に対し、この物語は生徒たちからの感謝という一種の“物語としての赦し”を与えます。

 

また、神原くんも――やや背負い過ぎではあるものの――自ら犯したと感じている罪(柏木くん殺し)と向き合い、自分を裁いてくれと嘆願し、結果“赦し”を裁判の場で与えられます。

 

 

この物語で“赦し”を受けた人物たちにはひとつの共通点があります。

 

それは、「自らの罪を認め、その罪と向き合ったこと。そして自ら『許してくれ』とは言わなかったこと」という点です。

 

逆に考えてみます。

 

もりりんの隣人。

 

彼女はもりりんにあれだけのことをしたにもかかわらず、恐らくは「許してもらえるだろう」という期待をもったまま、ふてくされたようにもりりんに『許してくれ』といいます。

 

そして彼女は赦されず、もりりんの張り手を食らいます。

 

次は樹里ちゃんの母親について考えてみましょう。

 

彼女は最後の最後まで、樹里ちゃんを罪からかばいます。
言いかえれば、ただの一度も樹里ちゃんに罪と向き合わせること、責任を取らせることをしようとしません。

 

彼女は樹里ちゃんにこう言います。「樹里ちゃんのこと何にもわかってなかったね。許してね」(テヘペロ)

 

そして彼女はあれだけ“愛情”を樹里ちゃんに示すにもかかわらず、報われず、一度も「ありがとう」を言われることはありません。

 

彼女たちには、自分たちが傷つけた相手から許されるだろう期待を抱きながら、その実自分がどれ程相手を傷つけたのかを想像することなく「許してくれ」と言ってしまう、共通点があります。

 

 

……、と書けばなんとなく「赦される条件。それは許されようとしないこと」という切り口でこの映画を語れるかも、とも思ったのですが、実際はそこまで納得感ないだろうな、とも思います。

 

なぜか。

 

やっぱり樹里ちゃんも母親がどうとか以前にかなり悪い子だからです(母親だけ悪者扱いはアンフェア)。

 

結局樹里ちゃんがこの映画で罰を受けているのか、許されているのか今一よくわからない扱いで終わっており、”許されること”というテーマにかんする物語的なキレがないのですね。

 

嘘を突き通したのがみんなにバレないまま、松子ちゃん「ごめんね」と言って終わるのでは観客としてはカタルシスがあまりにない。

 

松子ちゃんかわいそう、、、で終わってしまいます。

 

なので、次に「樹里ちゃんが物語的に担っていた本当の役割はなにか?」について書いてみたいと思います。

 

 

 

2.樹里ちゃんが得た、強くなるため条件としての「共感」

 

樹里ちゃんはニキビに悩むものの、その辛さについて母親に理解、共感もされることはありませんでした。
(前編で彼女の母親は何度訴えてもアブラモノを食卓に出し続けます)

 

また、ひどいイジメ(暴行)を受けますが、これについても――松子ちゃんを除き――理解されることも共感されることも、助け船を出されることもありません。

 

本来はそんな彼女の友人として松子ちゃんがいたはずなのですが、樹里ちゃんは生来の性格由来かはわかりませんが、松子ちゃんを友人としてではなく自分の信者として支配下におき、対等な友人としては取り扱いません。

 

ある意味で彼女は屈折した形で描かれる、共感されたことのない孤独な人物として描かれているのです。

 

そんな彼女は大出くんに復讐として濡れ衣を着せようとします。

 

そして彼女は、裁判の途中まで、保身のため真実を述べず、そしてまたそのことを悔やむこともありません。

 

神原くんが彼女に真の共感を寄せるまでは。

 

彼女は神原くんに初めてその痛みや苦しさについての共感を示され、そして泣きます。

 

このシーンの前までの彼女はどうだったでしょう?

 

松子ちゃんを裏切り、罪を着せ、そしてそのことに罪の意識もなく、当然赦して欲しいという感情すら湧いていません。

 

さらに悪いことに彼女の母親は、そんな樹里ちゃんに罪と向き合わせようとせず、徹底的に罪に対する責任を彼女にとらせようとはしません。

 

しかし樹里ちゃんは、神原くんの心からの「共感」を得て変化します。

 

心からの共感を得て、彼女ははじめて自分が犯した罪を認め、受け入れる強さを得ることができたのです。

 

そして、エンディング直前でようやく松子ちゃんへの悔いを表現するようになります。

 

あえてここまでの彼女から物語テーマを引き出すとするならば、それは、『人間が自分の罪に向き合うためには、その前提として誰かの強い「共感」を必要としているのだ、そのような”支え”がないうちは、心の弱さゆえに他罰的にしかなれないのだ』、ということを言えはしないでしょうか?

 

 

……と、こんな風に言えればある意味わかりやすいかもしれませんが、やはりここでもこの映画はややキレが悪いと認めざるを得ません。

 

結局のところ彼女は犯した罪があるにも関わらず裁かれも許されもせず、非常に中途半端なオチで物語を終えてしまっているからです。

 

個人的に彼女の今後は悲劇だと僕は感じています。

 

彼女はこれから、自身の保身がためにかけがえのない親友を“殺した”という罪を誰に裁かれる機会もなく、長い人生を生きていくわけです。

 

これは相当に悲劇です。

 

本当は彼女は公衆の面前でその嘘を暴かれ、悔い改めそしてその罪と向き合い、結果として赦されるべきだったのです。

 

しかしこの映画では非常に中途半端なオチのままです。

 

…。残念です。

 

 

 

3.リテラシーの必要性

 

そしてテーマ関連の文章としては最後、「リテラシー」について触れておきたいと思います。

 

この映画では主人公たちは「自分たちで考え、調べ、判断し、決着をつけ」ます。
これは情報に対するリテラシーそのものである、とぼくは感じました。

 

これは自戒を込めていいますが、新聞やテレビをはじめ、流れる情報を鵜呑みにしては自分で確かめもせず物事を判断し「あいつはダメだ、あれはつまんないよ、だって○○にダメって書いてあったもん」と賢くなった気分だけは手軽に手に入れようすることのなんと多いこと。

 

そのくせ誰かの意見にのったことへの責任には無自覚で、風見鶏的に勝ち馬だけを探しては誰かを裁いた気になり続ける自分、、、。

 

主人公たちが獲得しようとしたもの、それはこうした愚かしさを避けるためのリテラシー精神だったと言えはしないでしょうか?

 

 

もちろん全てのことについて自分の眼で見て考え生きるには、能力も不足すれば時間も足りません。

 

地球が青いことを自分の眼で確かめられるひとが果たして何人いるでしょう?

 

自分で判断することができる領域はごく狭く、さらにその判断した結果の多くは間違っているかもしれません。

 

けれど、自分たちにとってクリティカルだと感じたことについてだけはせめて、情熱的にかつ冷静に自分で考える力を持ちたいと願うことは、僕は至極健全で全うであると思うのです。

 

 

この映画のリテラシー教育的側面として、大出くんへの判決を上げることができるでしょう。

 

神原くんは繰り返し、『彼は屑だけど無罪だ』といいます。

 

その通りです。

 

たとえ人殺しであろうとも、独裁者であろうとも、「やっていないことについては無罪」なのです。

 

これは近代法治国家の最低限の条件です。

 

しかし現実は果たしてどうでしょう?

 

今日のニュースはそのような報道だったでしょうか?

 

今日、誰かをジャッジした自分は偏見に歪められたものではなかったでしょうか?

柏木くんが本当は欲しかったもの

最後に、柏木くんがあまりにあんまりだったので、ぼくなりに彼について考えてみたいと思います。

 

結局彼は「ただ友達が欲しかっただけなんじゃないだろうか?」と僕は思うのです。

 

そしてそのことがもう少し描かれていればこの映画の印象も変わったろうにな、と考えています。

 

理由はいくつかあります。

 

ひとつめ。

 

柏木くんは神原くんに一種の地獄めぐりをさせます。(ひどい男です)

 

なぜそんなことをさせるのでしょう?

 

彼は神原くんにその地獄めぐりを経て、傷ついて欲しかったのです。
辛くなってほしかったのです。

 

なぜなら、この世界が偽善的でウンコタレであることを彼にも知って欲しかったからです。

 

そして、彼はそのことによって、神原くんと世界を共有したかったのです。

 

しかし神原くんは、”思いがけず一足先に精神的に成長”してしまいます、

 

「このゲームも悪いことばかりではなかった」と神原くんは言います。

 

それを聞いた柏木くんは「なお悪い」といいます。

 

なぜなお悪いのでしょう?

 

それは、「僕の気持ちをわかってくれる人がこの世からいなくなってしまうから」です。

 

彼は神原くんを呼び出した時、苛立ちながら神原くんにいいます。

 

『用事がなければ呼び出しちゃいけないっていうの?!』と。

 

これは一見単に揚げ足取りをする嫌な奴というセリフに見えますが、それだけではないと僕は思っています。

 

彼は「用事がなくても神原くんとお話をしたい」のです。
孤独で寂しくて、共感してくれる人がまわりに誰もおらず、だからこそ話ができる友人が欲しかったのです。

 

そして彼は自分の過剰な思春期の潔癖性を共有したく神原くんに歪んだ形ですがりつくも、しかし、自分の科した地獄めぐりによって皮肉にも神原くんを失ってしまうという「(彼にとって耐えられない)悲劇」に見舞われるのです。

 

 

柏木くんという歪んだ男はこの歪んだゲームを通じて何をしたかったのでしょう?

 

 

「この世は最低だ」「そうだね、僕もそう思った」、「偽善的だよ」「そうだね、僕もそう思ったよ」

 

 

本当は彼はただ心から共感してくれる友達が欲しかっただけなんじゃないだろうか?

 

そしてそれが果たされないことが分かり彼は異常な怒りを見せ、次に絶望し、そして死んでしまったのではないか?

 

彼が「歪んだ友情」を強要する人物であることにはしかし変わりはありません。

 

ですが僕は少しだけ思うのです。可哀そうなやつだ、と。

 

まさしく口先だけの偽善者ってやつと柏木くんが言おうとも、僕はそのような哀しみを覚えずにはいられないのです。

最後に宣伝について

最近映画を観るようになったので、ある意味映画ファンにとっては「当たり前」なのかもしれませんが。

 

ソロモンの偽証に限らずではありますが、しかし宣伝のやり口が汚くないでしょうか??

 

特にポスター。

 

『全員嘘をつく』、ってそんな映画じゃないじゃないですが、この映画!
と思います。

 

ベイマックスではエンディングを改変してまで、「売れる」広告をしていましたが、なんというか、これでは作品は浮かばれない、と僕は思うのです。

 

なんというかもっと、映画がもっている魅力そのものを引き立てる広告を、と願います。

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