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【映画評】だからピンとこなかったのか!式 モアナと伝説の海の物語構造の分析と感想―ネタバレあり―

 

映画、モアナと伝説の海を観てきました!
昨年度のズートピアの出来は半端じゃありませんでしたが、今回は果たしてどうだったでしょうか?

 

正直に言えば……

 

僕自身の率直な感想としては、映像や音楽は物凄いものの物語そのものは”なぜか”ピンとこなかった。

 

 

今回エントリーでは、『なぜピンとこなかったのか?』、その理由について物語や登場人物の造形にまで踏み込んで批評/解説をしてみたいと思います。

 

そして僕が観る限り、この物語で真に主役になるべきだった人物は実はモアナでもマウイでもない、”あの人”であるべきだったように思います。

 

最初はネタバレなしで本作の素晴らしいところを紹介しますが、途中からはネタバレ全開で解説をしますので、未見の方、あるいは絶賛以外の感想は観たくない!という方はブラウザバックをおススメいたします。

 

 

 

モアナと伝説の海の素晴らしい歌と映像

素晴らしい映像)

−−−−−−−−ここはネタバレなし−−−−−−−−

 

まずなんといっても映像表現は脅威の一言です。
水、砂の表現はもはやCGに苦手なものなどないと感じさせるほどの圧倒的クオリティ。
水そのもののみならず、劇中たびたび出てくる濡れた髪、乾いた髪など、その表現は”水気の多寡”にまでおよび、その美しさだけで人の心を動かすレベルだったと思います。

 

さらに本作では2.5Dとでもいうべき新たな映像的快感がありました。
マウイの歌う”俺のおかげさ”のシーンや、タマトア(蟹ちゃん)の歌うシャイニーのシーンなどは、立体感のある3Dモデルと2D的映像がこれまでにない融合を見せ、結果的に不思議と3DCGのモアナやマウイがまるで本物の人間のように見えてくるという、ちょっとこれまでに感じたことがない快感がありました。

 

メリーポピンズ等であったアニメと実写が同時に画面に写される最新形とでも言うような映像的チャレンジを感じましたし、実際僕はそこに心をもっていかれました。
(まるで良い意味で最新型のリアルな人形劇をみているような映像でした)

 

 

伸びやかな歌声)

 

また、歌もよかった。
特にモアナ演じる屋比久知奈の歌声は伸びやか、かつ素直で、モアナというキャラクターとの齟齬が全くない。
正直セリフの部分はやや野暮ったい部分はあるものの、それを上回る歌の質だったように思います。

 

このあたりのキャラとの一体感が醸し出す前向きな力強さは、エンディングの加藤ミリヤと比べるとハッキリしているように僕には思われます。。
(どうにも加藤ミリヤの表現は歌を歌う”私”が前にですぎてちょっとしんどかった。モアナ”として”歌う屋比久知奈のほうがどうしても良く聞こえる)

 

尾上松也演じるマウイもちょっとイケメンボイス過ぎるとは思うけれどまぁ器用ですね。
声質はともかくとして大外しはなかったように思います。

 

 

しかしなぜかノリきれない……)

 

しかし、、、物語部分をみると正直に言ってなぜかアラを感じてしまう。
なにに自分がアラを感じていたのか最初はよくわからなかったのですが、見直し、考えるうちに、『あぁ、だからちょっと話に乗り切れなかったのかな』と思うようになりました。

 

さて、ここからはいわばモアナと伝説と海はなぜピンとこない作りになってしまったのか?? という話になってしまいます。

 

そうなんだよなぁ、俺も私もなんかノレないところがあったんだよなぁ、という人向けの文章になりますので、もし最高に楽しめた! という方はブラウザバックをおススメいたします。

 

以下ネタバレありです。

 

−−−−−−−−−−ここからネタバレあり−−−−−−−−−−

◎不足するモアナの葛藤と成長描写

なぜモアナと伝説の海は少しピンとこない映画だと感じられたのでしょうか?

 

それは正直に言えば、モアナの葛藤の”核”(=乗り越えるべき壁)に対して、それを乗り越えたという成長”実感”のある描写が不足しているから、だと僕は思います。

 

なぜそう言えるのでしょうか?
まずはモアナの葛藤の”核”を見てみましょう。

 

 

◎モアナの葛藤の核

 

モアナは劇中、大きくは二つの葛藤を抱えていることが描かれます。

 

・一つ目は”海の向こうへと行きたいけれど禁じられている”という葛藤です。
・二つ目は”なぜ私は海に選ばれたのか?”という葛藤(=謎)です。

 

それぞれの葛藤は劇中で解消されますが、どうにも説得力を感じられない。
なぜでしょう?
ひとつひとつ、見ていきたいと思います。

 

 

◎海に行きたいけれど禁じられている葛藤

 

モアナの海に出たいという気持ちを抑圧しているもの(実現を阻んでいるもの)は二つです。
一つは村長である父親。
もう一つは”荒波”です。

 

さて、それぞれに対してモアナがどのように乗り越えたかというと、これが実に”たまたま”というしかないように僕は思うわけです。

 

 

渡りに船で親父を越える

 

まずは親父です。

 

親父の反対を最終的にどう乗り越えたかというと、これは共同体の危機という”外部要因”が”たまたま”やってきて彼女の海に出たいという欲求は反対できないものなることによって解決されます。
決してモアナ自身が反対を押し切ったり、ある種の呪いを背負って、とかではありません。

 

ある意味でモアナは”ラッキーなことに”、旅立つ正当な理由を得ることができた形です。
(渡りに船、ですね)

 

 

荒波は不思議

 

次に荒波。

 

初回、モアナはブタちゃん(プア)と一緒に海に出ようとしてひどい目にあいます。
自分も死にかけますし、ブタちゃんも死にかけます。

 

二度目。
夜にモアナは”スッ”と外海に出ることに成功します。

 

このあたりがいまいちピンとこない。
もちろん良く考えればなるほどな、と思いはするのですが、初見では(少なくとも僕は)ハテナが浮かんでしまった。

 

まず”波”です。

 

モアナは”海に選ばれた”存在であるにもかかわらず、ガチンコの荒波で死にかかる。
”海”はモアナにめちゃんこ優しくしてたのにいきなり大波かぶせて殺しにかかるわけです。

 

あれー?? となる。

 

二回目は超穏やかです。

 

あれー?? となる。

 

 

船の性能?

 

次に”船”です。

 

初回の船と二回目の先祖伝来の船との間にどの程度スペックの差があるのか説明がないので、船出が成功した理由に”船”がどの程度かかわっているのかわからない。
(初回はカヌーで波に弱く、二回目は遠洋航海可能な船だったということだとは思いますが)

 

初回と違って夜の波がやたらに穏やかなので、結局”海の気まぐれ”で外に出れたり出れなかったりしていたように見えてしまう。
(この時点でモアナの航海術スキルはゼロですから,モアナのスキル有無は成功要因とは無関係です)

 

 

たまたま乗り越えた葛藤?

 

つまり、親父の抑圧も、荒波の抑圧も、なんだか”たまたま”乗り越えられたように見えてしまう。
なので、モアナが葛藤を乗り越えて成長していってるという感覚や共感をなかなかもてない。

 

 

一応船出のシーンを最大限好意的に解釈すると、

 

”遠洋航海に耐えるだけの船に乗ってこない限りは、後々危険になるから、海はモアナに航海を許可しなかった。だから初回は追い返した”

 

ということのようにも思えますが、それにしちゃ、その後わざわざ難破させたりもするし、やっぱりちょっとピンとこない。

 

 

やっぱりなぜ海に選ばれたのかわからない

 

モアナは海に出て以降、”なぜ海に選ばれたのかわからない”という疑問を抱きます。
これは観客の疑問とも重なります。なぜモアナは海に選ばれたんだろう?

 

モアナはテカーとの闘いに破れ、マウイにも去られ、失意の底にいます。
そこにエイとなった祖母の魂があらわれ、『お前はどうしたいんだい?』と問われます。

 

モアナは、自分自身に流れる先祖伝来の魂を確信し、
『海に選ばれたかどうかは問題じゃない、海に出ることを”私が”選んだんだ!』
と成長をみせます。

 

 

確かにこの自己選択の気高さとでもいうべきものはわかりますし、いいシーンだな、と思いもするのですが、やっぱり僕には少しピンときませんでした。

 

なぜなら、モアナがどう考えようと、”選ばれたのは事実”だからです。
そして、選ばれたことはどうみても”特別”なことですし、その”特別さ”が、この旅の困難を解決してきたのを私たちはみているからです。

 

マウイは海の力によってモアナと一緒にいざるをえなくなりますし、海は航海の術をもたないモアナをマウイの島に漂着させます。

 

節目節目でめちゃんこ”選ばれた”恩恵を受けている。

 

”海がモアナを選んだ動機の解明”という大きな物語上の謎が、モアナの力技によってスッと煙に巻かれちゃった感がある。

 

 

『周りはどうあれ私は私だ!』という決意が感動的になるためには、結局、その宣言をするための何らかの”障害(や悲劇)”が物語上、不可欠なのだろうと思います。

 

ちょっと視点をひいて眺めてみると結局海とモアナは”相思相愛”の関係なわけです。
モアナの宣言は決して何かを”引き受ける覚悟”ではない。

 

 

才能がなくともその道を選ぶ苦しさ、や、英雄になりたくないのにならざるを得ない苦悩があれば、”それでも私は選ぶ!”という宣言(葛藤の乗り越え)に感動があるとも思います。

 

しかしモアナと伝説の海においては、『なぜ愛されてるかもわからないし、凄い援助してくれるけど、私が相手のことを好きだから理由はもういいじゃん』という話に見えちゃう。

 

笑いに愛されない”けれど”笑いを愛することを決意した男の生き様は悲哀とともに共感や感動を呼びますが、『全ての笑いを愛し全ての笑いに愛された男の話』となると、ちょっとまぁ話の種類が変わってきちゃう。

 

 

確かにこのシーンはグッとくる。
実際劇場でも鼻をすする音があちこちでしていました。

 

しかしこのシーンの良さは死んだ祖母(タラ)の『どんな選択をしようともあなたを迎え入れるよ』、という海のような優しさと我々自身の祖父母への郷愁が主な理由ではないかな、と僕は思います。

 

◎マウイの動機と成長描写にオチがない

さらにこうした実感のない成長描写はマウイについても同じことが言えてしまう。

 

マウイの旅の動機は捨て子だったという辛い過去からくる強烈な承認欲求(他者からの賞賛)です。
彼の”芯”は”他人の評価”です。

 

なんにでもなれる神の釣り針を力の源とするマウイは、逆に言えば他者から賞賛を受けるためなら、なんにでもなってしまう存在でもあるわけです。
そのため、彼は時に善悪の区別もつかなくなる。(善にも悪にもなる)

 

(みんなにウケてるからという理由でノリで炎上写真をTwitterにあげちゃう人達と基本的なメンタルは同じなわけです)

 

そんな彼がテカーとの対決の中で”なんにでもなれる”釣り針を失う。
なんにでもなれる=何者でもないマウイから脱却する時がきたわけです。
他人に賞賛されるために始めた旅の終わりに、マウイは自分を獲得します。

 

『”マウイ”は”マウイ”だ!』と宣言するこの点にこそ、マウイの人間的成長が表現されるわけです。

 

 

 

しかし。

 

 

しかし、釣り針が戻っちゃう。

 

戻っちゃうのです。

 

ここがよくわからない。
また”なんにでもなれちゃう”。
なんのために、どんな風に釣り針を使うかが変わったような描写もないので、また同じことをしないとも限らない。
(他人に賞賛されるためなら”心を盗むなど”悪でも犯しちゃうかもしれない)

 

(神話がベースなので、”釣り針を失いっぱなし”という改変はできなかったのかもしれませんが・・・)

 

む、む。

◎こまごましたアラが目立つ

無粋を承知で言いますが、モアナと伝説の海はやはり他にもどうしてもこまごましたアラが目立っちゃっているといわざるを得ない
(僕はディズニー映画を”大人も”楽しめる映画ではなく、”誰しもが”楽しめるスーパーエンタメ集団が作る映画だと思っているので、あんまり子供向けだからさ、的な気持ちにはなれない)

 

 

なぜ海がモアナを選んだのかやっぱりわからない

 

海がめの赤ちゃんを救ったその優しさを海が見ていたから??
魚はバリバリ食いまくるのに?
僕が魚だったら同じ空間で暮らしてるのにカメ優遇政策がちょっと過ぎる気がしちゃう。

 

 

なぜ1000年放置されていたのかわからない

 

海自身が心を運んできたことからも明らかなように、誰かに冒険を始めさせようと思えば海次第で全然できちゃったように見えます。
なぜ1000年待ったのでしょう?
海にとってはモアナが現れるまで、まともに託せる相手がいなかったのでしょうか?
しかし、前述しましたが、モアナの特別さは結局描かれないのでよくわかりません。

 

それとも1000年間、実は割りに頻繁に勇者を選んで送り出しては失敗していたのでしょうか?
(彼らは死んでいた??)

 

しかしそうなると優し気に幼さな子を巻貝で海へと誘惑する海のやり口に若干サイコパスじみたものを感じちゃいます。

 

 

なぜマウイが島から出なかったのかわからない

 

マウイは泳げないと歌いますが、実際にはモアナの船から海に飛び込んで逃げようとします。
泳げるんじゃん! と思ってしまう。

 

さらに洞窟にモアナを閉じ込めたのもよくわからない。
必ず誰かがいないと出れない式の呪いがあったようにもみえません。
わりに結構なガチンコな殺害描写にみえちゃう。

 

 

海がサポートする/しないの基準がわからない

 

マウイの島にモアナを漂着させたりする一方で、肝心のテカーとの対決ではあまりからまない。
マグマに波となり覆いかぶさる、とか、マグマを受け止めて被弾を防ぐとかもありません。
『海は守るための行為はするが攻撃するための行為はしない』というポリシーでもあるのかな? とも思いましたが、マウイのお尻にプスプス吹き矢を飛ばしたりはする。

 

『モアナを見守るけど直接手助けはしない。自力で成長するんだよ!』的ななポリシーもなさそうに見える。
わりに気ままにみえちゃう。

 

※ちなみに海が島と島(人と人の心)をつなぐものであれば、ラストは海が割れるのではなく、海が盛り上がって道ができるべきだったんじゃないかなーと思ったりする。

 

 

マウイと一緒に心を返しにいかないといけない理由がよくわからない

 

ばあちゃんもモアナも心を返すにはマウイが必須であると確信して行動しますが、実際には物語の始まりから終わりまでマウイがいなければどうしても解決しなかった障害が実はありません。
’盗んだ本人が返さないと(悔い改めないと)呪いは解けない”的な仕組だったわけでもないし、心を奪いに来たのはカカモラだけで、なんならマウイはそこから逃げる上にモアナはひとりで立ち向かって奪還しちゃえてる。

 

もちろん失われた航海術を今に蘇らせるためにマウイが必須だったのはわかるのですが、こと心を返しにいくことだけをみれば海が漂着させれちゃうのでなかなか納得しにくいお話になっちゃってる。

 

 

ヘイヘイが想像以上にスポット的な活躍にとどまる

 

ヘイヘイが愚者にみせつつ賢者だった的な展開があるのかな?と期待していたのですが、想像以上に活躍の場が限定されていました。
ブタちゃん(プア)にいたっては序盤でおぼれかけて以降旅にすら着いてこないなんて……。
あんなにグッズがあるのに……。

主役になるべきだったのは

さて。

 

ここからは少しだけ視点を変えて、モアナと伝説の海で本当に主役となるべきだったキャラクターは誰だったのか?について簡単に書いておこうと思います。
主役になるためにはいくつかの条件がありますが、そのうちの一つに成長の幅が大きい。感動の幅が大きい。周りに与える影響が大きい。などをあげることができます。

 

その点でいうと、実はモアナは物語のはじまりと終わりで意外な程変化をしていません。

 

モアナは航海術以外は最初からほとんど欠けているところがない。
マウイに閉じ込められても機転と体力で乗り越えますし、カカモラにも真っ向から立ち向かう勇気がある。
(上に勝っちゃう)
知恵もあるし、海に出たいという想いがあり、それは最後まで変わりません。
弱さというものもあまりない。

 

割りにモアナは完成された強さをもっているわけです。

 

その意味で振り返って観てみてれば、モアナはむしろ周囲を変えるタイプのキャラクターです。
マウイや村人たちを変える。

 

 

では一体誰がこの物語で最も変化しえたキャラクターだったのでしょうか?

 

言い換えれば、最も葛藤が大きく、最も感情が動き、最も成長する余地があったのはキャラクターは誰だったのでしょうか?

 

 

親父主役説

 

僕は実は物語の骨格を観る限り、主役は親父であるべきだったんじゃないかと思えてなりません。

 

親父(トゥイ)目線で物語の序盤をみるとこうなります。

 

 

親父(トゥイ)は過去のつらい記憶から自分の心を封印し他者にまで押し付けていましたが、自らが責任を負う共同体の危機からその過去を清算をせざるを得なくなります。
逃げるわけにはいかなくなる。

 

村長として責任と伝統とトラウマとが彼の中でせめぎあうキャラクターです。
村を救わねばならない。
しかし海の外に出るわけにもいかない。

 

そう迷う内、事態は悪化の一途をたどっていきます。

 

そんな中、事態を解決できるだろう唯一の解決策が、海に選ばれて”しまった”最愛の娘が海を渡ることだと判明します。

 

しかし。
そんな危険を冒させるわけにはいかない。
しかし。
そうせねば共同体はいずれ滅ぶしかない。
トラウマだってある。

 

果たして親父は何を選択するのか??!!(したのか?!)

 

”いってらっしゃい”である。

 

いや、行けや、と思ってしまう。

 

 

もし娘を守るために共に親父が旅についていけば、それは、村を救い、賛同できない夢を持つ娘を守り、そして見失わないための旅であり、同時に子離れをする物語になっていたはずです。
さらに言えば、自分自身が封印していた過去のトラウマを乗り越える物語にだってなった。

 

ファインディング・ニモのちょうど逆ですね。
ドント・ロスト・サイトオブ・ザ・シー です。
(海と娘もちょうどかぶるシー)

 

見失わないようにし続け、最後に子離れする(手放す)お話。
自分も娘も、共同体も成長するお話。

 

まぁごつい船越英一郎みたいなキャラクターでは主役にはなれなかったのかもしれませんが、クマノミのお父さんがなれて人間がなれないのはなんというかマーケティングの悲哀というか残酷さを感じさせますね。
父娘ものだってそろそろ作っていいとも個人的には思うのですが。

海を擬人化したのが失敗?

最後にこの映画の最も大きな”失敗”は海を擬人化しちゃったところにあるような気がします。

 

海はめちゃめちゃ強いですし、海にサポートを受けられるのであればほとんど何でも解決できちゃいそうに見える。
擬人化しちゃったことで、モアナを選んだり、サポートしたりといった物語の重要な要素の必然性が全て薄まって、”海というキャラクターの意思”によって左右される物事に見えちゃう。

 

 

ドタバタしたのかな?

 

プアがほとんど登場しなくなったのは、わりに急きょ脚本を書き替えたりといったことがあったそうです。
(海でブタちゃんが活躍するのは難しいとなったらしい)

 

なんというか、歌や音楽、映像は素晴らしいのですが、どうにも脚本周りでドタバタしちゃったように感じた、というお話でした。
カカモラ戦とかモアナと伝説のデスロードって感じで凄い好きなんですけどね。

 

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