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【映画評】ひるね姫が描こうとした本当の物語と『ひるね』の理由

映画ひるね姫が描こうとした本当の物語と『ひるね』の意味

 

映画,ひるね姫,感想,評価,批評,

 

 

映画『ひるね姫』を観てきました!

 

物語冒頭からおとぎ話の形を借りて日本の大艦巨砲主義的産業構造や労働環境への鋭い批判がなされはじめ、『これはもしかしたら見た目のポップさに反して、相当にスケールの大きな映画かもしれない!』と観はじめました。

 

しかし、序盤から中盤に差し掛かるにつれ、登場人物たちが急速に『ここはこういう設定だからツッコミはなしね!』的なルール説明セリフを頻発しはじめ、やがて僕の頭に『ん?』と『ハテナ?』が次々浮かんできてしまう。
(理由はちゃんとはあるけれど)パッと見ご都合主義的な展開が何度も登場し、正直そのたび何度もコツン・コツンとつまづいてしまう。
エンドロールががっつりと心に染みたのに比べると、どうにも本編はスッとノレずに落ち着きが悪い。

 

夢と現実の世界の細部には何かしら面白くなりそうな空気があるにもかかわらず、全体を見渡すとどうにもちぐはぐ感や無理やり感があるのが否めない。

 

なぜこうなったのでしょうか?

 

最初は僕も色々と物語の解釈・考察をしていました。こうか? ああか?
ちぐはぐ感が解消される物語のスジがすっとひけるのではないかと考えたわけです。
そして、ある時点でこのちぐはぐ感が発生してしまっている理由がハッキリとわかりました。

 

それは、物語上の重要なエピソードが何らかの理由でごっそりと削られてしまったから、です。
その結果、失われた部分をカバーするように周囲のエピソードやキャラクターが無理をせざるを得ず、物語全体の流れがギチギチと軋んでいる。
(アスリートが切れた腱を支えるために周囲の筋肉を鍛えざるを得なくなり、結果本来のしなやかさを失ってしまうのと同じことが起きている)

 

 

僕が思うに、『ひるね姫』が『本来描こうとした物語』は壮大かつ力強いものです。
特にモノヅクリに関わる人間や、夢を描こうとする人間、あるいは子供がいる方などには、物凄く響く物語であった『はず』です。

 

しかし、正直に言って現時点ではかなりの部分に『無理』がある。

 

では、削られた重要なエピソードを補完するとひるね姫はどのような物語になっていたのでしょう?

 

今回は、この『削られたエピソード』を補完することによって、この作品が本来表現しようとしていた物語の熱をこちら側で立ち上げよう、という感想・考察・批評のエントリーになります。

 

そのため、がちがちにネタばれありですのでご注意ください。

 

 

目次
1)劇場公開された版の『ひるね姫』
@物語の骨格
A映画が表現しようとした本質
B現状の問題点

 

2)削られた『ひるね姫』
@削られた物語の背景
A物語の骨格
B削られた物語が補完する要素

 

3)本当の『ひるね姫』
@物語のパートとテーマ
A立ち上がる物語

 

4)まとめ

1)劇場公開されたの『ひるね姫』物語的骨格とは

@ひるね姫の物語の骨格

 

ひるね姫の物語の軸と骨格を、あえて『思い切り』削りだすと

 

『ふたつの全く無関係に見える世界AとBがミッシングリンクXによりつながり、互いの世界の危機を救う話』

 

という構図になります。

 

物語の骨格そのものは、映画ネバーエンディングストーリーや村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドと同じタイプですね。

 

こうした物語が受け手にとって価値あるものになるためには、大きくは以下のふたつが上手くいっている必要があります。

 

ひとつは、全く無関係と思われる世界それぞれが独自の魅力をもっていること。
これがないと、片方のパートのお話が来るたびに受け手はがっくりきてしまう。

 

もうひとつは、各々の世界が結びつくその仕掛けが意外性をもちながらも納得感のあるものである必要がある、ということです。
受け手は長い時間をかけてその結びつくだろう瞬間を心待ちにしているわけです。
ここがあまりに予想通りだったり、あるいは無理やり過ぎれば、物語の仕掛け、ひいては物語そのものが失敗と思われてしまう。

 

 

さて、ではひるね姫の場合は、この2つの世界はどのようなものだったのでしょうか?
改めてその物語の骨格を確認しておきたいと思います。

 

 

A:ココネパート(現実世界)

眠ることでなぜか不思議な力を発揮する少女が、家族の危機を救う為に日常を飛び出し、悪漢と対決する話。
現実世界の家族の危機を救うと同時に、異世界の鬼を退治する。
(異世界の鬼を退治することが現実世界の問題を解決することでもある)

 

B:エンシェンパート(おとぎ話世界)

A:パートに対比される世界。
現実を寓話化した謎の世界。
Aパートの不思議な出来事が起こる理由にもなっているが、物語当初はAとの関係性は不明。
鬼の襲来という危機に見舞われているが、Aパートとのかかわりを経て、危機が回避される。
異世界の危機を救うこと(鬼を退治すること)が同時に、現実世界の問題を解決することにもつながる。

 

C:AとBが結びついた結果

異世界の鬼が退治されたことによって、現実世界で起こっていた問題が解決し(五輪の自動運転システムが成功し)、その結果、途切れていた家族の絆(祖父ー父ー孫)が回復する。

 

 

A現状の問題点

 

ひるね姫にはいくつかの大きな問題があります。
その代表的なものをふたつ挙げるとすればそれは、

 

@夢が現実に影響を与える描写が曖昧かつご都合主義的に見えてしまっているがために、主人公が特段の困難も葛藤も持たないまま話が進み観客(僕)が共感(応援)しづらい物語になっている。
A悪役(渡辺)の動機が一聴して理解できないため、結局誰が何のために闘っているのかがわからなくなっている。

 

の、ふたつを挙げることができるでしょう。

 

このふたつによって、話を構成する要素そのものは(夢と現実。親子。技術。ロボ)、『個別にはわからなくはない』ものの、各々が点々と散らばったまま繋がらず、『全体としては結局よくわからないまま』になっている。
そのため各要素は繋がりを失ったまま熱を帯びることなく、こちらの心を動かすまでには至っていない(と僕は思う)。

 

簡単にそれぞれの代表的なシーンと、原因について解説してみます。

◎ご都合主義的展開に見えてしまうのはなぜか?

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まず、ひとつめの話。
どうしても物語の端々がご都合主義的に見えてしまう件についてです。
そのひとつに新幹線のチケットとお弁当を受け取るシーンをあげることができるでしょう。

 

本来ならここで我々観客は(僕は)『なんでそんなことが起こるんだろう? でも何か不思議な秘密があるに違いない!』と感じるはずです。
頭に浮かぶ『?』は『好ましい謎』として物語の『求心力』へと変わり、観客の姿勢を前のめりにするはずでした。

 

しかし、結局はそうなりません。

 

『まぁなんかあるんでしょう』と、ある意味で一歩ひいた気持ちで見守ってしまう。
いざネタばらし(=SNS経由で助け舟がきていた)を受けても、『だからこんな不思議なことが起こったのかぁ! 納得!』という気持ちよりも、『なんだか楽に話がすすむなぁ』という傍観するような感情が先にたってしまう。

 

なぜでしょうか?

 

その理由は、このシーンの直前までにすでにして不要に不思議なシーンが続いてしまっているからです。

 

 

例えば、空港でここねが渡辺のバッグを奪おうとするシーン。

 

ここねは、空港職員を目の前にしながらも客観的には犯罪行為にしかみえない行動をとります。
しかし職員は複数名いながらも全員揃いも揃って目の前のここねの行動に(たとえ下をずっと向いていたとはいえ)気が付くことも騒ぐこともありません。
夢も魔法も全く関係ない。
純然たる『ハテナ?』です。

 

まずここで、『本当に不思議なこと』と、『単に話がゆるいこと』の境目が見えなくなりはじめます。

 

 

次にその直後の森田とここねが夢の中で車(ハーツ)に乗って空を飛ぶシーン。

 

相当『不思議』なことが起きているにも関わらずふたりはその不思議を一瞬にして受け入れるばかりか、その世界のルールを淀みなく理解し、互いにひとつひとつ丁寧なセリフで説明しはじめます
その後も『大変なことが起こった!』と感じることもなく話が進む。

 

『どうしてこんなことが起こっているんだろう? どんなオチがこの先待っているんだろう?』

 

と観客(僕)の期待が高まるのに対して、ここねと森田の淀みない説明セリフの数々はまるで

 

『え? 不思議なことが気になる? ダメゲスト。受け入れるの。この映画のルールを何も考えずに』

 

とでも言っているかのようです。

 

 

そうして圧倒的なまでの説明セリフによる状況の押し付けに等しいシーンの直後に、あたかも『ここは素晴らしいシーンですよ!』的にふたりに空を飛ばれても、正直作り手側の本質的なサービス精神の不足がすでに見えてしまっているので、こちらとしてはその迫力に比してノルことができなくなる。

 

作り手側が『狙って不思議さを感じさせたいシーン』の前からすでに、意図せぬ『不思議なシーン』が続く上に、『それを黙って受け入れてね?』的態度が端々に見えてしまっているがために、受け手(僕)としては、いざ『不思議』の本番がやってきてもどうノッていいものやら、わからなくなる。

 

結果的に物語が描きたい『不思議』の価値は相対的にグッと下がり続け、その後に幾つかの『真実』が明かにされたとしても、そのころにはもう残念ながら胸には迫ってこない構図になってしまっている。(と僕は思う)
(避難警報が続き過ぎて麻痺する感覚が近いかもしれませんね)

 

 

◎悪役の動機がわかりづらい

 

次に悪役(渡辺)の動機が分かりづらい問題についてです。

 

渡辺がタブレットを手に入れようと躍起になりますが、結局のところその一次的な動機は『五輪の自動運転の成功』であることが物語の終盤になって明かされます。

 

会長による熱を帯びた『五輪の自動運転を成功させるのだぁ!』という激の直後に、

 

悪役がニヤリと不敵な笑みを浮かべながら『五輪の自動運転を成功させるのだぁ!』

 

となるので、こちらとしては非常に混乱する。

 

その後もそれなりに長いセリフで『成功させることによって自分が会長になるのだぁ!』的ロジックが悪役によって展開されはするのですが、一聴して『なるほどぉ!確かにこいつはすんげーワルだぜぇぇ、許せねぇっ……!!』となった観客がどれ程いるのか、僕としては非常に疑問です。

 

どう考えても産業スパイ的な役割で失敗を誘引する立場等であった方が100倍わかりいい。
わかりやすさが常に正義だとは思いませんが、しかし余計な混乱を生む以外に効果がないのであればあえてややこしい人物造形を選択する必要はないと僕は思います。

 

 

◎その場の勢い任せとしか思えない点々とした不思議が続く

 

その後も夢の世界の倒すべき存在であるところの鬼との対決が最終的になぜ宇宙へと飛び立つことへとすり替わってしまうのかもよくわかりませんし、最後の最後にハーツが(『一番苦しい時に助けにくるわ』と母親が叫びながら散ったとはいえ)驚異的な性能で自動運転の範疇を遥かに超えて父とここねを受け止めるために最高のタイミングで登場した挙句、きりもみしまくるのか(できたのか)もよくわからない。

 

もちろんフィクションは全てにおいて合理的である必要など全くありません。
タイムスリップしても、死体が蘇っても、天空に城が浮いていても何でもいい。
しかし、観客がその作品の独自ルールを受け入れられる機会は序盤の一回だけです。
話が進むたびごとに『ここはそういうものだと思って気にしちゃダメだよ?』的な話がどしどし場当たり的に追加されるのは、あえてB級を狙ったものでない限りは正直キツイ。

 

 

◎こんなことになってしまった本当の理由

 

ここまで散々なことを言っているように思われるかもしれませんが(言ってしまってるとは思うけど)、しかし、実は僕はこの作品が嫌いではありません。

 

というかむしろ好きですらある。

 

 

それは、冒頭にも述べた『削られた重要なエピソード』が補完されてさえいれば、上述したような多くの問題点――ご都合主義的展開/悪役の動機の不明その他諸々――が、綺麗に解消されていたばかりか、互いに熱を帯びながらうねり、物語はそのピークを迎えていただろう『気配』がしているからです。

 

そうしてその『気配』越しに『ひるね姫』を眺めなおした時、そこにはなぜこの映画が『ひるね』であるのかがビタッとはまってこちらの胸に迫ってくる。

 

では、その『削られた重要なエピソード』とは一体なにで、それが合わさった時、この物語はどんな姿を見せるのでしょうか??

2)削られた『ひるね姫』

散々引っ張っておいてアレですが、削られたエピソードとは、『エンシェンと魔法のタブレット 〜もうひとつのひるね姫〜』に他なりません。

 

これはhulu限定で公開されている30分近くある短編なのですが、肝心の中身が明らかに劇場用に公開予定だったはずのエピソードをごっそりそのまま削りとったようなものとなっており、物語上、あるとないとでは本編の意味が全く異なってくるような重要なポイントだらけの代物になっているのです。

 

正直現在公開されている版は未完成版とすら言っていいと僕は思う。

 

この短編の中では夢の世界の悪役の行動が明らかに本編のそれと異なるわかりのいい動機に基づき、かつ、具体的な行動をとるさまが表現されようとしている。

 

物語はエンシェント(母親)とピーチ(父親)の馴れ初めから始まり、エンドロールで流れた工場でのふたりの奮闘が寓話化された形で描かれます。
様々な現代的技術を用いたエンジニアリングシーンが端々に盛り込まれて、この物語の『技術』に対する熱意がより際立つだけでなく、本編で後にここねが受ける様々なサポート(新幹線のチケットを受け取る等)の伏線にさえなっている。

 

このエピソード群によって、この作品の大きな問題点であったご都合主義的展開は事前にしっかりと伏線が張られた納得のある描写へと変化すると共に、『ひるね姫』物語の軸が『よくねむる少女の物語』から『かつてふたりで夢を追いかけた夫婦の物語』へとシフトします。

 

女子高生『ここね』の立場は物事を解決するために走る主人公というものから、その実『夫婦がその愛によってなんとしてでも守りぬこうとした『姫』』という存在にまで変わる。

 

正直、このエピソードをなぜ削ってしまったのか、全く理解できない
(ほんとは少しだけ理解できる)。

 

この『エンシェンと魔法のタブレット 〜もうひとつのひるね姫〜』は明らかにこの映画の『心臓部分』であったはずです。

 

huluオリジナルということから未見の方が恐らくは沢山いると思われるのでさすがに詳細なネタバレはできませんが、とにかく監督が当初描いていた『ひるね姫』の物語が現状の姿と大きく異なっているということは間違いありません。

 

そしてタラレバですが、このエピソードを含んだうえで構成されていれば、物語はより熱を帯びうねりながら観客の胸へと押し寄せていただろうと思わずにはいられない。

 

huluに入っているかたは是非ご覧になってみてください。

 

※宣伝っぽくなるのが非常に嫌ですが、未加入の方はさっと入って無料期間中にさっと観て抜けてもいいと思います。

 

 

※ここから先は、削られたエピソードが含まれた形を『夢想』しながらの記事になります。

3)補完されたひるね姫の本当の物語と『ひるね』の意味

さて。

 

は削られたエピソードを含んだ上で、そもそも『ひるね姫』が表現しようとしたものの『本質』とは一体なんだったのでしょうか?

 

そのことを理解するためには、そもそもなぜこの物語が『ひるね』である必要があったのかを理解する必要があります。

 

 

◎『ひるね』という行為が本質的に意味するもの

 

ひるね姫では心羽(ここね)が眠るたびに夢の世界があらわれ、そこでの不思議な出来事が現実とリンクする様が描かれます。
例えば空港から飛び出したここねは現実世界のピンチを切り抜けるために夢の世界で使える不思議な魔法をつかおうと眠る。
ここねと森田の身に魔法のような不思議なことが起こりますが、しかしそれは実際には完全自動運転による現実世界の出来事でありました。

 

ではここで描かれた『魔法の本質』とは一体なんだったのでしょう?

 

それは、父と母がふたりして日々苦難の中でも汗をかきながら掴もうと『夢見た』技術の結晶に他なりません。

 

 

◎夢を観ること

 

そもそも『夢』とは一体なんなのでしょうか?

 

私達は時折、夢想する、という言葉を使うことがあります。
そうして時に叶うこともない夢や希望を持つ人を嘲りの意味を込めて夢想家と呼んだりもする。

 

しかし、夢をみない人が夢を叶えることはありません。
夢を叶える人は、必ず夢をみている。
その夢はひとにより様々でしょう。
内気な自分を克服して思い切り声を出して歌いたいと夢観る人もいれば、女優になりたい、ジャズの店を持ちたいと夢見るひともいるかもしれない。
友達が欲しい、お金が欲しい、空と海の出会う場所へいってみたい。
あるいは、誰もみたこともないモノづくりをこのチームで成し遂げ誰かの役に立ちたいんだと、夢をみたりする。

 

『夢を追いかけている状態』とは、すなわち『起きながらにして夢みること=ひるまに夢をみること』に他なりません。
夢を追っている日中、彼らはずっと夢をみている。
この作品における『ひるね』という行為は、目を覚ましている間中、夢をつかもうと懸命に生きることを象徴する行為なわけです。

 

 

◎デイドリーム・ビリーバーとクイーンとプリンセス

 

エンドロールでここねの父と母が、客観的には苦境にあっても笑いながら夢を追っている姿が映されます。
彼らは起きながらにして何かをともに達成しようと『ずっと夢をみている。』
そして、愛するひとと夢を分かちあい、追いかける日々『そのもの』がふたりにとって『夢のような日々』でもありました。

 

けれど父が愛した母は永久に失われます。
何をどれだけ強く願おうとも、この人生でただの一度も再び会うことはどんなことをしても絶対にできなくなる。
でも彼女がいたからこそ、彼は『夢をみれた』し、『夢を追いかけること』ができた。
だからこそエンドロールでふたりの思い出を背景に『ずっと夢みさせてくれてありがとう。僕はデイドリーム・ビリーバー。彼女がクイーン』と歌われるのです。

 

ではプリンセスは誰だったのでしょう?
もちろんそれはここね以外いません。

 

父と母はふたりで『昼間に夢をみながら過ごした日々(=ひるね)』を通じて、『完全自動運転』という『魔法』を実現します。
ふたりにとって夢と現実は越えられない壁ではなかったわけです。
おとぎ話は現実のものとなった。
こころねひとつで空を飛べたわけです。

 

 

◎この物語の舞台がお盆であった理由

 

そして、ここね(姫)のピンチに母(クイーン)は父とふたりで作り上げた『魔法(自動運転・ハーツ)』を通じ、絶対に越えられらない壁を越えて(死の世界から)『ここね(プリンセス)』を救いに駆けつける。
だからこそ、この物語は『死者の魂が現世に帰るお盆』を舞台にしているわけです。

 

物語の序盤と終盤に描かれる精霊馬(おナスですね)は、母の魂の帰還を願う父の姿の象徴であると同時に、劇中活躍したハーツ(車)そのものが母の魂をつれて帰ってきたことの象徴でもあります。
そのことを父は直感しているために、少しでもまだいて欲しい、とキュウリをおナスに変えるのです。

 

 

そうして、『ひるね姫』は、『やたらとねむくなる女子高生』の物語から、『ずっと夢をおいかけていた(ひるねをしていた)ふたり(父と母)がその夢の力で守ろうとする最愛の『姫』の物語』=『ひるね姫』の物語へと変化するのです。

 

 

 

◎ラストのロボが意味する志と悪意、声援

 

こうした『夢をおいかける姿』は、悪役との闘いの中でも象徴的に描かれます。

 

ラスト、巨大なエンジンヘッド(ロボ)を操縦する父とここねと大臣のシーンを例に挙げます。

 

父は本来飛ぶはずのない巨大な鉄の塊に幻の羽をつけ空を飛ぼうとします。
それは、どれだけ巨大で美しくみえようとも、動力源そのものは、あくまでひとりの人間が『ひと漕ぎひと漕ぎ』汗をかきながらペダルを踏まない限りは動かないものとして描かれる。

 

決して夢は安易に簡易に誰かが自動で叶えてくれるものではないわけです。

 

こうした夢を追う姿に襲い掛かるものとして描かれるのが、敵役の大臣が放つ無数の黒いコウモリのようなものです。
そして、彼は『炎上しろ!』と叫びます。

 

 

人の志は様々なものに折られます。
現実的制約。才能、機会。不運。

 

この作品で『悪役』が放つものは、無数の小さいが確かな悪意や憎悪、懐疑です。
それらは打ち破るべき本体もなく有象無象にばらばらで、風向きひとつで態度を変える(コウモリ野郎)なわけです。
それらが高く飛ぼうとする志の足を引っ張ります。
父は倒れ、ペダルを漕ぐ力が失われそうになる。

 

そこに、愛する娘の心からの『こころねひとつで空も飛べる!』という応援によって、父は再び足をひと踏み、ふた踏みする力を回復し、誰もみたことのない世界へと飛びたつわけです。
愛する人の心からの信頼こそはまさしく今心折れかけている誰かにとっての『魔法の言葉』そのものなのです。

 

この作品は、どうあろうとも譲れない志を持つ者への敬意と、足を引っ張る悪意への怒りと、自分を応援してくれるものへの深い感謝とを描こうとしている。
僕はこの点だけだったとしても、どうしてもこの作品を嫌いにはなれないのです。

◎まとめ

この作品は成功したのでしょうか?
正直に言って成功したとは思いません。
失敗したと言っていいところもたくさんある。
見事ともいえないし、面白かったとも言い難い。

 

けれど少なくともこの作品は、『真っ直ぐであろうとはした』と思うのです。
何かを達成しようとしている。
何かを達成しようとする人の背中を押そうとしてる。
そして今誰かの背中を押す人への感謝をーーたとえいなくなってしまっていたとしてもーー伝えようとしている。
僕はその『志』が好きなのです。

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