金利の違い

【映画評】愚行録を逆から観るとわかる物語

【映画評】愚行録はなぜ惜しいのか? 〜物語構造と主題のズレ〜

 

映画,愚行録,批評,ネタバレ,評価,感想,考察

 

映画、愚行録を観てきました!

 

いやー、面白かったですね。
監督は初長編作品だったとのことですが、ポーランドの撮影監督と協力して作り上げたという画面はそのどれもが独特に陰惨な色合いで写されており、作品のもつ内臓ごとゲッソリとさせるような雰囲気と完璧にマッチしていたように思います。
エンドロール後に劇場から出て行く皆からかもし出される『なんか・・・、こう・・・、いやー・・・・(ゲッソリ』みたいなオーラとベストマッチな陰鬱さでした。

 

中でもベストシーンはやはりオープニング早々の数分になるでしょう。
僕は物語が始まった途端に描かれる日常の描写=(悪意と善意と嘘と『ええかっこしい』とが無自覚に交じり合った、いかんともしがたい『愚かさ』とそれへの『怒り』)に、『あ、これは凄い映画かもしれない』といい意味で主人公にひいてしまった。

 

その後も映像はしばらくテンションを落とすこともなく、時にふっとホラー的表現にまで行き着いて、思わずこちらの背筋が凍りそうにもなります。

 

 

しかし、です。

 

 

最終的に観終えて、なぜか絶賛するというまでには気持ちがのりきらなかった。

 

もちろんつまらなかった!というわけではないのですが、中盤を過ぎたあたりから、物語序盤が維持していたある種の『日常=私たち自身』への自爆にも似た地続きの『怒り』とでもいうべきものが、スッと『あちら側の人々のお話』に変わってしまっている。(ように感じる)

 

 

もちろんこれは個人的な感想に過ぎません。
しかし、なぜそう思ったのだろう?
愚行録はいったいどこで物語序盤に持っていた密度の高い何かを霧散しかけてしまったのだろう?

 

何度か考えるうちに、僕なりに『あぁなるほどな』と思う答えにいたりました。

 

その答えとは、主題と物語の構造とがズレてしまっているから、です。
だからこそ、主題と映像とにズレのない映画オリジナルのシーン(オープニングとエンディング)が、胸に迫るのに比して、肝心のお話部分は少しずつ密度にムラが生まれてしまっている。

 

ではそれは具体的にどういった『ズレ』によるものなのでしょうか?

 

今回エントリーでは、映画『愚行録』のそもそものテーマと実際に描かれた姿の構造的な分析から、なぜこの話が面白くはあったけれど絶賛するまでにはなれなかったのか? その理由を解説・考察・批評していきたいと思います。

◎そもそも愚行とは何か?

そもそも『愚行』とは一体どんな行為を指すのでしょうか?

 

辞書を引くと、『愚行』とは、『愚かな行い』と説明されます。
(わかっとるわ、と言いたくなる)

 

では『愚か』とはなんでしょうか?
同じく辞書を引くとこんな風に説明されています。

 

『思慮・知恵がたりないこと』

 

最後に、では『思慮』とは?

 

『(注意深く)いろいろと思いめぐらした考え』

 

と説明される。

 

 

辞書によると『愚行』とは、『軽率で考えなしに行われる行為』だ、と言ってもよさそうです。
言い換えれば愚行とは、『想像力の欠如した振る舞い』と言っていいかもしれません。

 

 

今作では、『愚行録』の名の通り、『想像力の欠如した振る舞いや言動』が取材を通じて、どんどんと記録されていきます。

 

本作では登場人物全員が何がしかの愚かさを抱えている。
しかし、裏主人公とでもいうべき田向夫妻とそれ以外の人物とでは愚かさの種類も描き方も明らかに異なっています。

 

そしてそのことによって、映画『愚行録』は、実は物語が進めば進むほど魅力が失われざるを得ない構図になっている、というのが僕の意見です。

 

ではその田向夫妻と周囲の人物との違いと、映画が進むほどに魅力が失われていく構図とは一体どんなものでしょうか?

◎物語構造からみる作品の欠点

映画,愚行録,批評,ネタバレ,評価,感想,考察

 

オープニングを終えて以降、物語の中心をなすのは『平凡で幸せそうな一家が殺されてしまった謎の解明』となります。

 

もちろん『誰が犯人なのか?』というミステリー的な筋もあるにはありますが、しかしあくまでも物語の中心となるのは、『夫婦が殺された理由の解明(夫婦の本性の解明)』と、『それを語る周囲の人間の語りざまそのものの醜さ』のふたつになります。

 

田中という観察者の目から見る、『田向夫妻の本性』、ならびに『証言者の本性』とその記録。

 

つまりこの作品の構図は、大きくは『犯人は誰か?式』のミステリーではなく、『実態を暴く式ドキュメンタリー(記録映画)』なわけです。

 

 

さて、ここで問題となるのが、この『徐々に明らかになる本性』というものです。
こうした『徐々に明らかになる式』物語で重要となるのは、物語開始時点と終了時点の『取材対象』のギャップの大きさにあります。

 

虫も殺さぬ顔をした少女が友人の飼い犬をぶっ殺していた。
穏やかな老人が夜な夜な街の水道に毒を混入させていた。
etc/etc。

 

ギャップが大きければ大きい程、私たちはゾッとする。

 

『皆が普通だと思っていた取材対象を長時間取材した結果、なんと普通だった!!』というのでは話が成り立ちません。

 

実はここにこの物語の抱える大きな問題点が2つある(と僕は思います。)

 

 

ギャップが明らかになるにつれショボくなる現在)

 

一見してこの物語は、現在から過去にさかのぼることで被害者夫婦の闇を浮き彫りにする構図に見えます。

 

平凡だが幸せなエリート家族の風景。

 

しかし物語が進むにつれ、彼らが実は、自己利益のためなら他人をどこまで利用しても構わないと考えるウルトラ利己的人物であることが明らかになります。

 

大きなギャップに我々(僕)はげっそり『しそう』になる。

 

しかしです。

 

実は、この物語は時系列を逆にすると全く逆の物語になってしまう。

 

つまり、あれほどまでに自己中心的で闇の深かった男女が社会に出た結果、『恐ろしく平凡になっていった物語』にもなっている。

 

 

田向(夫)は、『日本は格差社会でなく階級社会なんだ!』と刺激的かつ挑発的な発言をし、そこで上り詰めるために散々女を食い物にしてそのことを気に病むこともなかったのに、『結局は』、『ちょっといいとこの企業で望まぬ仕事をしながら、特段社会的なコネがあるわけでもない女性と落ち着き、安酒を飲んで仕事の愚痴をこぼすだけ』の人間におさまってしまっている。

 

決して周囲の人間を徹底的に利用して自己実現のために野心バリバリに猪突猛進『し続けた』人物ではありません。

 

 

一方田向(妻)も、『階級社会の上位者』たる『内部生』に取り入るために自らの美貌のみならず友人ですら平然と捧げものにしながら社会的階級を登ろうとしていたのに、『結局は』、『ちょっといいとこの企業で平均より2〜3百万高いかな?位の一従業員との結婚』で満足する人間になってしまう。

 

決して政治家や実業家などの大物一本釣りのためならあらゆる力を使ってでも昇り詰めようと『し続けた』人間ではなかったのです。

 

 

つまり、物語が過去へとさかのぼり、そこでのエピソードが刺激的なものになればなるほど、相対的に現在がどんどんとみすぼらしくなっていく。

 

 

こうした『徐々に明らかになる邪悪な本性』的な物語は、通常ですと、ラスト手前でその明らかになった邪悪な性分の持ち主が『明らかにした側(主人公サイド)』に『反転攻勢』に出ます。

 

いよいよ『悪』が本性をむき出しにして主人公たちを襲ってくる。
物語当初の穏やかな表情がニセモノであり、彼らがガチにヤバイ奴であることを我々(僕)はわかっているので、その『反転攻勢』にハラハラドキドキして画面を観ることになる。

 

 

しかしこの愚行録ではすでに田向夫妻は舞台から退場していますので、そのような『明らかになった本性をフルに活用した見せ場』が披露されることはありません。

 

彼らの物語的終着点は『平凡さ』に落ち着いてしまわざるを得ない。

 

あれほど野心むき出しだったふたりの肝心のゴールが『ちょっといいとこの企業の従業員とその妻』というのは実に情けないというかスケールが小さい上に、明かされた人物像との齟齬がいかんともしがたい

 

もちろん彼らが”そもそもスケールが小さい人間だった”というのはあり得るとは思います。
真の野心家ではなかった。
それはそうかもしれません。

 

しかしそれにしては中盤以降の描写があまりにドギツイ。
就活のために女をとっかえひっかえしまくり、そのことも恥じず、また手に入れたいものを実現するだけの才覚すらあり、さらには信奉者さえ獲得している。
ちょっとした政治家レベルのドギツサであり、一般人のレベルとは到底いえない。

 

なのにそれが今では望まぬ仕事(営業)で汲々としながら安酒を飲む立場に落ち着いている。
この姿が作り手の考える階級社会の勝者なのでしょうか?
それとも田向は敗者になり、這い上がる才覚も気力もなかった人物なのでしょうか?

 

うーん・・・・・・。

 

 

結局この『徐々に式』物語を面白くするためには、当初の『平凡さ』とのギャップを大きくするためにどんどんと各エピソードをドギツクせざるを得なくなります。
しかし、ドギツクなればなるほど、当然平凡な現在はショボくならざるを得ない。
そして明らかになったそのドギツサを用いて活躍する場が物語上彼らに与えられえない(すでに死んでる)ため、どうしても現在のショボさが固定化されて物語が終わってしまうのです。

 

 

 

テーマからそれる”愚行”)

 

さらに言えば、彼ら夫妻の振る舞いを描けば描くほど、本作のテーマであった『愚行』は後ろに遠のいてしまうと僕は考えます。

 

というのも彼らは他人が何が欲しいかを想像して、その欲望を自分の欲望を実現するための道具として最大限活用できるように立ち振る舞っている。

 

つまり彼らは『めちゃくちゃ考えてやってる』わけです。
計算づくです。

 

つまり彼らの振る舞いは終始一貫して『あくどい(=やり方がどぎつくてたちが悪い)』のであって、決して『愚行=想像を欠いた振る舞い』ではないのです。

 

彼らが『平凡でないこと』を描写しようとするあまり、『愚行』という本来描こうとしたテーマがドンドンと薄れてしまっている。

 

 

 

リアリティを失い”地続き感”が消えていく)

 

さらにこのドギツサが描写されるたびに物語は『私達と地続きである』という実感から離れていってしまう。

 

オープニングが素晴らしいのは、この『私たちとの地続き感』が色合いから乗客の表情から声や風景、演技に至るまでピッとスジが通った映像で表現されているからだと僕は思います。

 

実に日常的な風景で、だからこそ私たちは『席を譲れと言われる側』にも『譲れと言ってしまう側』にも、『傍観する側』にも、そのいずれの立場にも立ててしまう。
だからこそ観ていて『怒り』も湧けば、『居心地の悪さ』も同時に覚える。

 

臼田あすみの『人って怖いですよねぇ、どこでどんな恨み買ってるかわからないんですからぁ』というセリフも実にリアルで恐ろしい。

 

まさしく彼女はこの瞬間、『私はどこでどんな風に人を恨むかわからない人間ですよ』と無自覚に自白しているに等しいわけですが、こうした彼女の感性は決して特殊なものではないと僕は感じます。

 

怖い。身近である。

 

 

しかし話が内部生が超上流階級として描かれ、田向が社長の娘を次々に篭絡するあたりから、これはもうさすがにちょっとリアリティのある話とは僕には思えなくなる。
身近とは思えない。

 

もちろん、そう感じた人もいたかもしれないけれど、少なくともそこまでできる奴らが縄のれんでクダまくだけの人生を送るとも思えない。

 

 

結果的に、日常と地続きのリアリティをもった『愚かな私達』としてスタートした物語は、夫婦のギャップを表現しようとし過ぎるあまり、単なる『ゲスな(心が卑しい)彼らの物語』になってしまっている。(と思う)

◎そして彼らの物語へと切り離された

そしてこの地続き感が失われる極め付けが光子の父親が田中であったという点でしょう。

 

田中は観察者として自分の感情を殺した人物として表現されます。
いわば田中は『彼ら』と『私たち』を繋ぐリアリティの結び目のような機能を果たしていました。

 

しかし物語の最後の最後で一気に一番『こいつマジかよ』というポジションにいってしまう。

 

正直これはもう物語をショッキングにみせたいだけの作り事にしか見えない。

 

光子が実父から性的虐待をうけていて、内部生と多々関係をもっていたというのはわかる。
優しいお兄ちゃんが高校時代に親父を許せずぶっ飛ばすのもわかる。
ずっと妹を守ろうとしていたのものわかる。

 

しかしそれから急転直下妹と関係を持つのはよくわからない。
あれだけ憎悪した父親と同じことをする?

 

いつからそういう関係になっていたのかもわからない。
内部生の慰みものになりつつ結婚相手を光子が探していた時から?
それとも卒業してしばらくして急にそんな関係に?

 

さらにあれだけ妹を守ろうとした優しいお兄ちゃんが自分の子供と知りつつ、死ぬレベルの育児放棄を放置していたのはもっとわからない。

 

どう考えても物語的に必然性のあるものとは到底思えない。
ただ単に『ショッキングであること』だけを目的に付け足されたエピソードにしか見えません。

 

そしてその結果、オープニングでみせていた愚行録の最も真摯なポイント=『知らず知らず愚行を犯してしまう私たち』は砕かれ、話は『愚行を犯す彼らの話』へと終着してしまうのです。

 

 

 

◎オープニングと本編の愚行の決定的差異

 

実は、映画オリジナルのオープニング(エンディング)と原作準拠の本編とが描く『愚行』にはある決定的な差異が一点あります。

 

それは、『善意』の有無です。

 

オープニングでは、サラリーマンが『善意』に基づき行動し、誰しもが居心地の悪くなる事態が生まれます。
一方本編の主要人物が『善意』をもって行動することは、弁護士を除きありません。

 

オープニングでは、『善意』という感情が感性を鈍らせ、『考えなしの行動=愚行』を有む原因となりうる姿を描いている。
そしてこうした『善意』は決して特殊なものではありません。
ありふれていますし、『善意』を振るうことも振るわれることも実に日常的な風景と言っていい。

 

だからこそオープニングにはいかんともしがたい『居心地の悪さ』が生まれる。
その地続き感、人ごとでない感によって『身につまされる』わけです。

 

こうした『居心地の悪さ』は、『善意のない』本編には抱けない感覚でもあります。
本編では、『こういう嫌な奴っているよなぁ』とは思いますが、『自分もそうかもしれない』とはなかなかなりにくい。

 

なぜなら、彼らと私たちをつなぐありふれた感情=『善意』が抜け落ちているからです。
正しいと思っているからこそ救いようのない愚かさがあるという視点が、オープニングと本編とを決定的に隔てる要素になっている。

 

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◎まとめ

オープニングとエンディングは、善意と想像力と愚行とが対比的に描かれ、陰惨な空気と超平凡なひとびとの顔立ちと相まってピカイチのできだったと思います。

 

一方、本編は面白くはあるものの、過去のどぎつさが明らかになるにつれ、平凡な現在が浮き彫りになる構造であることと、話がどんどんとリアリティを失うことから、魅力が少しずつ薄れてしまわざるを得ないと感じました。

 

話は全く変わりますが、役者の人は(ひとりを除き)、皆さんめちゃくちゃ上手かったですね。
個人的には中村倫也さんが、もうスーパー自然な大学生の演技で、なかなかこんな風に溶けるように演技できる人はいないんじゃないかと感じました。
凄かったですね。

 

 

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