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絶歌〜啓文堂への支持表明〜

 

啓文堂が『絶歌』の取扱いをやめた。

 

これについて前回エントリーでも書いたが、私は支持する。改めて応援したい。

 

この啓文堂の対応について一部批判が上がっているが、その内容について、私見を述べておきたい。

啓文堂への批判の共有

批判内容としては概ね以下のようなものだ。

 

▼書店はあくまで取次機関であり、読者に情報を届ける必要がある。その機能を自ら放棄することは、検閲行為に他ならず、表現の自由の侵害である。

 

▼芸能人の暴露本を筆頭に、対象の了承を得ずに出版されているだろう本は多数ある。この本だけを特別扱いする理由がない。

 

▼こうした表現の自由の侵害はいずれ国家による検閲を招く。

 

私はいずれの批判も的を射ていないと考えている。

啓文堂は一民間企業に過ぎない

啓文堂はあくまで一民間企業である。

 

その社風にあった商材を自由に取り揃えて商売をするのはその企業の自由だと私は考える。(エロ本専門店にブリタニカ百科事典がないことは別に表現の自由の侵害ではない)

 

世の中にはドギついロリコン本だってあるが、その本を店頭に並べない判断をして何が悪いのか?

 

事実本屋の棚は有限で全ての書籍を取り扱ってはいない。優先順位をつけている。

 

この時、啓文堂はこの本の優先順位を最低にした、ということであってそんなことはどの本屋もどの本に対しても日常、不断に行っていることだ。

 

 

確かに読者が啓文堂しか購入先の選択肢がなく、そこで購入を申し出ても、「嫌です」と断られるような状況であれば問題かもしれない。

 

あるいは、全国本屋連盟的なものがあり一斉に「売らない」としてこの本をあらゆる言論空間から締め出すようなら問題だと思う。

 

しかし今はそうではない。事件のあった神戸のジュンク堂は取り扱うことを決めているし、Amazone等でいくらでも購入できる。

 

「他所でいくらでも購入できる」という前提に立ったうえで、「私たちはおかしいと思うから取り扱わない」ということを啓文堂はやってるわけである。

 

啓文堂のやったことは、「今自分にできる範囲内での状況への異議申し立て」である。何かおかしいと思う、だから納得できるまで自分はやらない、そういう判断である。

 

しかも目先の利益の放棄や批判を受けるというリスクを背負ってさえいる。

 

それとも民間の本屋に限ってそういう自由を与えないことが正しいのか?

 

 

もちろん啓文堂だけやっても根本的な事態は一緒だよねという意見があるのもわかる。

 

しかし単なる一本屋になにをそこまで求めるのか、とも思う。

 

状況の全てを解決できる人物以外行動を起こしても無駄ということだろうか?

 

 

「私たちは私たちの理念に照らした時、この本を売りたくないと思った、余所で買ってください。損は自分でかぶります。」

 

何がいけないのか?

 

私にはよくわからない。

芸能人暴露本と絶歌は同じか否か?

また、芸能人暴露本、その他は売っているよね?という批判も私にはよくわからない。

 

芸能人暴露本と今回の殺人事件の詳細を遺族に了承なく出版した本と、内容・性質として、原理的に全く同じなのだろうか?

 

それとも何か倫理的・法的な面を含め、決定的な違いがあるのだろうか?

 

正直に言えば、これまで明確な議論がされていなかったため、誰もちゃんとわかっていないというのが現状ではないか?

 

もしかしたら同じかもしれない。

 

芸能人暴露本も本人の了承なしに一般書店に流通させることはよくないことだったのかもしれない。

 

あるいは、芸能人暴露本と同じく、今回の絶歌も全く問題なく販売していいのかもしれない。

 

あるいはまったく別物で、やはり今回のような殺人被害に関わるものだけは特別なのかもしれない。

 

 

しかし現時点ではまだそのいずれなのか、議論しつくされていないのではないか?

 

ほとんど前例のないことだったのだ。

 

そして前例のないことに対して、こうして一企業が「おかしいと思う」としてリスクを背負って経営することが非難にあたるとは思えない。

 

新しい事態が起こった、だから今までとは違うものがあるのか、ないのか考える。
考えた結果自分に許された範囲内で行動する。

 

当たり前のことのように思えるのだが、どうなのだろう?

 

それとも『新しい事態が起こったけれど、今までと同じように考え、自分に許される異議申し立ての行動は全くなく、なのでこれまでもこれからも全く同じ行動をします』ということだけが正しいのだろうか?

 

私にはよくわからない。

取扱い中止 = 国家による検閲が開始される?

そしてこうした対応をしたら、途端にこれをきっかけに国家権力による規制がはいるだろう、という意見もよくわからない。

 

先にも書いたが、あくまで代替購入販路がある中で一民間企業がリスクを背負って経営方針を決めているだけである。

 

国が決定したことでもなければ、国による検閲を受けた結果でもない。

 

何より啓文堂の対応は、本屋全体から見たとき現時点では少数派である。

 

「一民間企業が他所で買ってくださいと言った イコール 表現の自由の侵害 即 国家権力による検閲」となる話の流れがよく見えない。

 

他所でまだ買えることは啓文堂も理解しているし、わたし達も知っている。

 

国家権力は絡んでいない。

 

出版はされている。

 

どう自由が侵害されているのだろう?

 

それとも啓文堂の行動は即時に国を動かすのだろうか?

 

私にはよくわからない。

 

今後この騒動をきっかけに出版とモラル、表現の自由と遺族の尊厳といった問題について、これまで検討されていなかった論点で議論が活発化するだろう。

 

その議論を丁寧に行えばそれでいいのではないか?

 

なにせ今時点で何も新たに立法されたわけではない。

 

私は『今、自分にできる範囲内で異議申し立てをした』啓文堂をやはり、強く支持する。

 

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